【夜と霧】収容所の極限状態から私たちが学べる事
YouTubeのどこかでおすすめされていた「夜と霧」という本を読んでみました。
タイトルからは「何の小説だったかな」くらいでしたが、読み終えてタイトルに込められた思い、考えさせられることも多く、とてもためになりました。
今回は、「収容所の極限状態から私たちが学べる事」というテーマで、「夜と霧」を読んで考えたこと、覚えておきたいフレーズをメモしておきます。
人生観を大きく変えてくれるおすすめの本です。
極限状態から私たちが学べる事
①何もかも奪われたときに残るもの
・人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない
・あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない
・人は、この世になにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれる
・自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない
いくつか本文から抜粋しましたが、全てに共通していることがイメージできるでしょうか。
極限状態の強制収容所では、お金も服もブランド品も全て奪われます。
そこで残るもの、それが大切な人への思いや経験など、自分の内側にあるものです。
自分は強制収容所に入らないから関係ない!と思うかもしれません。
それでもお金や見栄のために生きていないか、振り返って考えるいいきっかけになりました。
②目標や希望を持たない意味
収容所ではクリスマスから新年の間の週に、かつてないほどの大量の死者を出した。これは医学的に説明がつかないが、ありきたりな希望にすがっていたことが結果に表れたのだ。
極限状態では目標や希望を持たないこと=死です。
これは「目標や希望を持つ大切さ」を教えてくれています。
今日やりたいことなどの目の前の小さな目標でも、一つ一つ大切にしていきましょう。
③人間として
この世には、まともな人間とまともではない人間がいる。しかもどんな集団にもこのふたつの種族はいる。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
「敵だと思っていた監視者が、自分の朝食のパンを食べずにそっとくれた」というエピソードめちゃくちゃいいですね。
どんな極限状態でも、人として優れている人が存在します。
ただ逆に言えば、どんなに良い集団でもそうじゃない人も存在すると言えます。
死ぬ気で勉強して合格して入った大学、会社。
自分ではそこがベストと思っていても、言い方は悪いですがまともじゃない人間は必ず存在すると思って間違いありません。それがたまたま身近の先生や上司、クラスメイト、はたまた家族というパターンもあるかもしれません。
こういうのを知っていたら、そんなもんか。と心を広く保つことができます。
タイトルに込められた意味
訳者あとがきによると、この本のタイトル「夜と霧」にはこんな言い回し、考えが含まれているそうです。
夜陰に乗じ、霧にまぎれて人々がいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。
ここからもう少し考えていくと、今でもこのようなことがゼロの世の中になっているとは言えません。
霧はいつか晴れてなくなるものですが、自然の霧と違いこの霧は私たち自身で消すこともできると思いました。